このページはJavaScriptを使用しています。エラーが起きる場合は、ブラウザの設定を「JavaScriptを使用する」に変更して下さい。
>
トップ
>
コラム
> 4月29日(金)・30日(土)、5月9日(月)
宮城、岩手の被災地を視察しました---(1)
[2011年4月29日(金)・30日(土)、5月9日(月)]
高台から見えるゆりあげ地区
まばらに残った防潮林
東日本大震災から2カ月が経ちました。
4月29日から東北新幹線も復旧しましたので、29日、30日に宮城県内、5月9日に岩手県内の視察に行ってきました。
宮城では、同僚で宮城出身の今野東議員と宮城県高校ユニオンネットワークの高島委員長、板橋事務局長にご案内いただきました。
まず行ったのは仙台市街地から車で40分ほどの閖上(ゆりあげ)地区。ここは3月11日大震災の日、NHKで津波が押し寄せる様子がまっさきに映し出されたところだそうです。見渡す限り津波でなぎ倒され流された流木や瓦礫の平地が広がり、数キロ先にまばらに残った防潮林が見えてその先に海が見えました。そこにどのような街があり人々のどのような暮らしが営まれていたのか想像することができないくらい、跡かたもなくなっていました。
校舎、体育館などの一階部分が津波で浸水し使えなくなった小学校。体育館の入り口には泥まみれになった子どもたちのランドセルが並べられていました。体育館の中には、被災した家々から探し出してこられたアルバム、年賀状の束などの思い出の品々、卒業証書の筒、トロフィーなどが所狭しと並べられていました。一角ではボランティアの人たちが写真の一枚一枚を丁寧に洗浄し、きれいになったものはすぐに探し出せるように壁面に張り出されていました。
1階の廊下
持ち主を待つランドセル
高校の卒業アルバムなど
壁面にはられた写真
写真洗浄しているボランティアの人
大きな被害を受けた山元町では森憲一教育長さんの案内で、山下第二小学校、中浜小学校を視察しました。山下第二小学校は、校舎一階の天井まで海水が押し寄せ、全壊状態で、体育館にも約2メートル位まで海水が流れ込み、床、ステージにも土砂や瓦礫が堆積していたそうです。今は片づけられ、やはりアルバムなど被災家屋から集められた品々がおかれていました。
被災家屋から集められた品々
体育館の壁に残る浸水の跡
中浜小学校は、海岸から2キロメートルほどの所に位置し、一階、二階の職員室、教室等のすべてが津波により破壊されてしまっていました。二階の音楽室や図書室にも土砂が積もり、楽器類や蔵書も無残に破壊されていました。二階部分の隅っこにある急な非常階段を上がり屋上に出て横の扉から屋根裏のようなところに案内されました。日ごろは運動会などに使う道具置き場になっていた様子。震災、津波の当日、校長先生は全児童をここへ避難誘導して、近隣から避難してこられた住民の方なども一緒に90人ほどがそこで一晩を過ごしたとのこと。森教育長さんはその夜のことを、校長先生がよくぞ子どもたちを守り抜いてくれたと声を詰まらせながら話してくれました。
流木が流れ込んだ部屋
職員室
音楽室
屋上からすぐそこに津波が来た海が見える
上記の被災した二つの学校は、使用不能のため他の学校に移動し、併設の形で学校を再開したが、震災後の山元町の学校教育の原点は、中浜小と山下第二小にあり、この現実から復興を図っていきたいと考えているとのことでした。
避難所となっている坂元中学校
石巻港 津波により打ち上げられた船
校長室で津波当日の話を聞く
畳が入った体育館
石巻市鹿妻小学校では清元校長先生から話を伺いました。体育館と教室の一部が今も120人ほどの避難所として使われているが、学校も再開している。震災から一週間ほどは教職員のほとんどが学校に泊まり込んで避難者の受け入れをしてきたとのこと。自宅が被災している先生もいるがほんとに一丸となってよくやってくれているとのことでした。
2階の教室部分は廊下をはさんで片側が子どもたちの授業が行われている各教室、向い側の教室は高齢者がいらっしゃる家族の部屋、乳幼児のいる家族の部屋に使われていました。
体育館にはその日、畳が入り避難している皆さんで一斉に敷き詰められたとのことで、ほのかな真新しい畳のにおいに少しホッとしました。
(2)に続く…。
政策
|
経歴
|
国会活動
|
ニュース
|
気まぐれ日記
|
コラム
お問い合わせ
|
サイトマップ
|
リンク
| ▲
トップ
このホームページの内容を許可なく転載することを禁じます。Copyright © 2005,Mieko Kamimoto All rights reserved.